うどん屋に行った時のお話。
僕が黙々と食べていると、ひとりの男の人が席を立った。
財布を車に置いてきたらしく、一度店を出て、
お勘定のためにまた入ってきた。
この時、自分自身は感動するほどのことに気づいた。
それは、日本人の文化ともいえる、
「引き戸」についてである。
男性は、一度外に出る時、引き戸を開け、
30センチほどの余裕を残して、少しだけしめた。
車から財布を取り店に入る時、男性はその30センチに
手をかけて中に入り、また30センチを残して
引き戸をしめた。
男性はお金を払うと、今度はきっちり引き戸をしめて、
店から出ていった。

ここでの男性の気持ちを考えてみると、最初のすきまは、
「食い逃げなんてしませんよ、戻ってきますよ」
という意味であり、 次のすきまは、
「もうすぐ出て行きますよ」
という意味と考えられる。
そしてまた、最後にちゃんとしめるのは、
「ごちそうさま、さようなら」
といっているように感じるのである。
要するに、人間の主体的な働きかけによって、
空間の連続と断絶が なされているのである。
このすきまの文化は、日本人らしいというか、
ドアでは決して味わえない、 気持ち的な部分が
感じられる気がする。

僕が子どもの頃、田舎に行くと、多くの家の玄関が、
どこも少しずつ 開いていた覚えがある。
少し閉める事で、外界とは違う「いえ」を表すと同時に、
「いつでも来ていいよ」というような、
自分とパブリックスペースとの境界が あいまいな
「日本人的意識」を、あのすきまは
表していたように思える。


日本人のそんなところ、僕は好きだったんですけどね