「うまへん。」

もう半分以上過ぎましたが、今年は午年です。
それで去年の末、年賀状を書くにあたって
「馬偏のいい漢字ないかな」と思ったですが、
「馬偏」これがびっくりするほど多い。
一度調べてみることをお勧めします。
それで面白がって読んでいくと、
これまた意味がばかばかしいぐらいに多い。
騒 駅 験 騎 駄 駒 駻 騨 馴 騨 驂 駮 驤 騅
とまあ、僕のワードではこのぐらい。
「駻…カン  あらうま、高さ六尺の馬」とか、
「騅…スイ  あしげの馬」とか、
他にも「まだら馬」や「去勢した馬」、
「後ろ足の白い馬」なんてのもある。
なんと「馴」には「素直な馬」という意味があるそうです。
さすがは中国。騎馬民族。
やはり言葉は文化に付随してくるようで、
日本の「魚偏」とよく似てます。
考え方によっては、差異を分類する言葉が増えることが、
その文化の成熟度を知る鍵なのかもしれません。
ちなみにフランスに行くと「牛ロス」からさらに
細かい分類があって、肉の語彙は
日本語の何倍もあるそうです。
でも、日本語は(牛ロースもそうだけど)カタカナっていう
都合のいい武器を持っているから、ちょっとたちが悪い。
外来語がなんでも「音」で増えてきた。
まあなんとなくかっこいいし、
簡単に使えそうな気がするんだけど、
文化の成熟や、共通理解なんてお構いなしに
中心部分が空洞のまま
外側の言葉だけが増えすぎちゃったようです。
言葉を伝達の手段にするんだったら、
社会全体がもっと責任持って
言葉を使わなきゃあだめなんじゃないかな。
聞くほうもなんとなく聞きすぎ。
だって「コテラレル・ダメージ」なんていっても、
なんのことやらさっぱり。
同一のイメージを持てるのが
言葉による「伝達」なんだから。

「鯛」って言われたら浮かぶでしょ?
さすが日本人。