さて今回は、かなりの方です。
本当は、「巨匠」とお呼びしてもいいのかもしれません。
でも、そう呼ばれることは、少しも望んでいないようです。
ただ、職人であり、自然と誠実に対峙している
本当に厳しく、優しい「ひと」です。

写真は自由に撮っていいですか?

どうぞ秘密は何にもありません。

本当に誠実に語るものとは何かを教えていただきたい
というのが、今回のお願いなんですが。

こんな死にかけの爺の話なんて聞いてどうするの。
僕なんて彫刻を始めた頃から今までちっとも変わらず
写生をしてるんですよ。
芸術はね、例えばスポーツならはっきりしてるから
誰が見ても1,2,3はわかるけど、これが芸術ぐらい
基準のはっきりしないものはなくて、
「ばくはつだ」なんて言って一番になる人もいれば
僕みたいにちょこちょこやってなんとなくあがってくる
のもいますからね。

「習い事は枠に入って枠より出でよ」
ということですね。
僕はシベリアに捕虜になって3年、その時は装具
検査やらで持っているものはすべて取り上げられてね。
で、体だけなんだけど、そんな中、本を隠し持っていた
人がいてね。徒然草やなんかを夜になるとランプの下で
読ませてくれるの。その時読んだもので
今でも忘れないのが、この
「習い事は枠に入って枠より出でよ」という言葉なの。
「枠」っていうのは大工になったら親方が教えるでしょ、
「鉋(かんな)はこうひけ」とか、そういうのですよ。
同じように、デッサンでも、こういう構図で、こうやって、
こう鉛筆を持って、というのはひとつの枠ですよ。
だから、彫刻でも「好きなようにやればいい」
「個性が出るよ」なんていう人もいるけど、
本当の個性というものはね、エキセントリックなものを 個性だと思ったら大間違いですよ。
学生でもなんかちょっと面白いことをやると
「感覚ありそうだな」なんか言われちゃって、
そのままばぁーとやっちゃうとどうしようもなくなるのよね。
だからそこはやはり「枠」をきちっと決めてやらないと
本当はいけないと思うんですよ。
僕はいつも、「大人の人にあったら挨拶しなさいよ」
なんてことを30数年間東京造形大の学生たちに
言いつづけてきてるの。「君たちは4年保育だよ」てね。
これはね、何でもないようなことだけど、
これもひとつの「枠」として、大切なことなんですよ。