その時の若者があの「群馬の人」なんですよね。

そう、「いわせひさお」さん。
その人のことを思い出しながらつくったの。
同じ群馬から出た「歴程」の詩人でうちの子供の
先生をやってた岡本喬先生をモデルにしてね。
まだその頃はうちが代々木上原にあって、 岡本先生も
よく来て下さってたので、 絵を描いたり、雑談してたり
するうちに 「あ、この人をモデルにして、自分の中にある
岩瀬さんのことを思い出しながら顔をつくりたいな」
と思ってね。それで、
「先生、坊主にして いただけませんか?」
と頼んだんですよ。 で、その頃は朝倉摂も近くにいて、
バリカン 持ってたもんだから、
「せっちゃんぼ−ずにしてよ」 といって、
すぐ丸坊主にしてもらったの。 それでその岡本先生を
モデルに「群馬の人」 をつくったのよね。
まあ、出来たのはジャガイモみたいなやつで、 その時
船越はマリアさんみたいなのばっかり つくってたでしょ。
「マリアにジャガイモじゃあまずいなあ」
なんて思ってたら、評判になっちゃって、 そのまま近代
美術館に入っちゃった。
批評に「日本人によって、初めて日本人の
顔がつくられた」なんて書いてくれた人もいてね。
その頃日本はまだ、彫刻といっても仏像みたいなの
が主流で、ようやく、高村光太郎の「ロダンの言葉」
あたりからヨーロッパ的なものが生まれてきたところ
でしたから。
しかし、こんなにごつごつしちゃってね。これでも
この頃は「格好よくしよう」て思ってやってたんだけど。
今でもこういう朴とつな素直な感じっていうのはね、
やりゃーいいのにね、どうも「下手を、素朴さを」
装う仕事になっちゃう。そういうところが難しいね。
揉み手が身についちゃうと なかなか抜けないものなんですよ。
媚がね。 手が一人でしゃべっちゃう。
「もうひとつウケてやろう」なんて思うと今度は
格好よさの押し付けになりますからね。


先生の作品は「誰かのためにつくる」とか、
「何かのためにつくる」とかはあるんですか?

ないね。つくりたいからつくる。
格好いいようだけど、本当なんですよ。
僕は今までね、「買ってください」なんて言った事は
一度もないの。いや、今は売れますよ、
僕は日本では割合売れる方みたいだし。
でもね、さっきも言った通り、母親が、
こつこつこつこつ賃仕事しながら僕を育ててくれて、
それから群馬の人に出会って、
そういった経験をしてきた中で、
「早く有名になって格好つけてやろう」
といって揉み手を始めるんじゃなくて、
「この人はいったい何を考えている人なのかな」
ということを自分の人生に照らし合わせて
考えることが重要なんだと思いこんじゃったの。
そんなだから50までは食えなかったんですよ。
だから今でもうちの家内には頭あがんないし、
オリエが役者やりたいって時もピアノひとつ
習わせてやることができなかったからね。