さて、今回は異色です。
「特定非営利活動法人日本居合道連盟理事長」
「無雙直伝英信流英信館館長」
という方です。
「なんでまた・・」と思うかもしれません。
でも、その中に「再生生活」を感じると思います。


最初から愚問ではありますが、居合をはじめたきっかけは?

私はもう、「門前の小僧」というか、生まれたときから、
竹刀と刀に囲まれて育ちましたから。
まあ終戦直後は刀を持つというようなことは
許されませんでしたので、居合を習い始めたのは
昭和25〜6年頃のことだったと思います。

先生のおこなっている「居合」というは、古武術の部類に
入るとは思うのですが、剣道、剣術とは異なるのですか?


居合というものは、「抜き付けの一瞬」に
敵を倒すというのが生命だといわれています。
居合の発祥したのは、室町時代末期、戦国時代ですね。
「早く敵を倒さなければ自分がやられる」という状況の中、
「どうすれば先に倒すことができるか」というその時代の
必然から生まれたのが「居合」だと言われています。
当時はまだ「太刀(たち)」の時代でして、
敵が長い太刀を振り上げた時に防具のない「脇つぼ」を
逆刀できりあげ、すばやく「抜くと同時に切り倒す」
というものが考えられたわけですよね。
ですから、本来刀を抜いて「たちあう」ものに対して、
居合というものは、立っていようが座っていようが、
すれ違いざまであろうが、あらゆる場合に
どういう体勢からでも敵より速く勝ちを収める技でして
「居る」というのは、「すわっている」のではなく
「居て、敵の空気に合わせる」というのが
「居合」であるということですね。
ですから、その「居て、あわせる」という
要素は、剣だけではなく、棒であれ、
槍であれ、 柔術であれ、武芸十八般
あらゆる人が当時から取り入れたといわれてますね。
然し、戦場ではともかく、自分を守る技術と
云う事からいけば、大切なのは居合は必ず、
「後の先」であるということです。
「敵が自分に対して殺意を抱く、危害を
与えようとする。」後れると負けですから、
「その先」をとって勝つということ。
だから早く確実でなくてはなりません。
しかしもっと大切なのは居合の究極は
「和」であるということです。
彼の孫子も云ってますね。
「百戦百勝は善の善なるものに非ず。
戦わずして敵の屈するは之れ善の善なるものなり」
ですから、「居合は鞘の内」という言葉は
大変意味深な表現なんです。