「葉隠」という書がありまして、
「武士道とは死ぬこととみつけたり」
という言葉が有名なものですから、
武士道は死ぬことと思われがちなんですよね。
でもこれは、実は「いかに生きるべきか」
ということなんですよ。
「いつ死んでもいい」という覚悟、それが
自分に対する美意識なんですね。
今死んで、ひげまみれ垢まみれで
下着が汚れてて、というのは非常に
恥ずかしいことで、ですから常に
月代(さかやき)をちゃんと剃って、
装束を整えて、きれいな下着を着けて、
いつ死んでもいい格好をしておくというのが
その美意識なんですよ。
ですから「いつ死んでも」というのは
「いつ誰に会っても」というのと同じで
誰がくるから部屋を片付けるとか、誰に会うから
化粧をするとか、そういうものではなく、
常に自分を恥ずかしくないものに
しておくということなんですね。
まあそういう生き方というのはきついと言えば
きついのですが、それも「おしゃれな生き方」
つっぱって生きる「婆沙羅(ばさら)」と言うことで
いいじゃないかと思うんですよ。
そういう話をお聞きしますと、先生の静かな
印象とは逆に、やはり大和龍門さんと通づる
面を感じますね。
やはり共通したものはありますね。
もちろん表現の仕方は違いますけれども
内に流れているものは同じものがありまして、
彼もよく何人か連れて稽古に来たりしてたんですよ。
彼は来たらいつもここ道場で寝ますからね。
下の居間に布団を用意していても
「僕はここで」といって、道場の真中にどーんと
布団を敷いて寝ますから。
それで前はよく二人でこのテーブルの端に割り箸を
立ててぱーんと切ってみたり
この木綿糸を押しピンで天井に刺してたらーんと
下げてですね、それでこれを下から5cmずつ
お互いに切るとかそんなことをしてましたね。
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