そういった「こんな写 真を撮りたい」というのは、
誰か目標とか、憧れ、例えば「この写真かが好き」
といったものから生まれてきたんですか?


いや全然そんなのじゃないですね。
実は僕、好きな写真家とか、いないんですよ。
アラーキーがすごいとか、hiromixがかっこいいとか、
そんなのは感じないこともないけど、
写真自体は「うまい」とか「すき」とかは思わない。 東京発の写 真家というのは、メディアとの連動、
要するにハッタリがうまいだけで、そんなに魅力は
感じないんですよね。
それよりもどちらかといえば、篠山紀信のような、
どんな本や雑誌にも、どんなスタイルでも載せられる
誠実な写真のほうが好きかな。



でもちゃんと、木寺さんの写真には、先ほども
話にあったような、「撮りたい」という意志を感じる
ものが多いですよね。そういった「撮りたい絵」
とは、どういったところから
生み出されるんだと思いますか


自分でもよくわからないんですよ。
でも経験の面からいえば、以前いた写真館では、
基本はしっかり教えてもらったんですよ。
でもそこで、教えていただくなかで、
「〜はしてはいけない」「〜は失礼」とかいう、
「当たり前」や「決まりごと」には敏感に反応しましたね。
とにかく、鵜呑みにしないで、「わからんわからん」
といって、自分なりにとにかく考えてました。
そんなことをちょっとずつ積み重ねていくことで、
「自分の撮りたい絵」を見つけていったんじゃ
ないですかね。