実は、私が初めて先生の「早蕨(さわらび)」
を 観た時も、同じような感動を受けたんですよ。
何か詰まってて、周りの空気を圧倒するような。
うん。もしも僕の作品の中にあなたが感じてくれるような
好い部分があるとするならば、それはその中に「抑制」
がいくらかあったからなのかもしれないね。
僕はいつも仕事をしてて、うまくいかない事の方が
多いんだけれども、この「抑制・・中に瞬発力を
溜めこんで、静かに力を込めていく」ということは、
いつも願いながらやっていますよ。 日本の短歌や俳句のようなものもやはりそうですよね。
「くやしー」とか「すきだー」とかをそのまま
十文字の中に書いても全然つまんないの。
そういう気持ちを、いろいろなものの中に
込めていくからいいものができるんですよね。
実は先日の先生のテレビを観てて
私自身はすごくもどかしさを感じたんですよね。
「老木を描く老芸術家のいい話」のような
捉え方をしている部分があるように感じて。
(と、ここで、今まで傍で話を聞いていた 笹戸千津子さんが、インタビューに参加してくれました)
そう、私もね、それが通じてない、というか、
今の学生たちには解らないんじゃないかと思うのよね。
だから今度大学に行ったら学生たちに言ってやろうと
思ってるの、「90過ぎたこんなおじいさんですら、
いまだに努力してるのに、あなたたちはなに!」て。
先生はね、「技術はある程度やれば身につく、
だけどそれから先、いかに深くなっていくかが大切だ」
とよく言われてたんですよ。
でも、今の学生たちなんて、一回やったら全部
解った気になっちゃて、2年生になって、
首像を作る時に「1年でやったのに、何でまた同じことを
やるんですか」なんていう質問を平気でする子たちが
いるんですよ。
一回やったら、一丁あがりみたいなもんで、
まあ大学自体がそんな感じですよ。
大学っていうのは半分は休みなんですよ。
365日のうちの半分、180日が。
それでその180日のうちの半分が学科、
残りの90日が実技。
今1年間休まずに大学行く学生が何人いるか
知らないけれども、90日×4年で360日、
一年しか出来ないの。一年じゃあ大工にも
左官にもなれやしない。
でも今これが大学なの。
僕なんていつもこん畜生と思ってばかりなのにね。
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